広川町は古来より幾度となく津波に見舞われてきた。 特に宝永四年(1707)安政元年(1854)の大津 波は、広地区が再起不能といわれたほどの大災害をもた らした。   特に安政元年の津波を目のあたりにした濱口梧陵は、 濱口吉右衛門氏と計り、中世畠山氏の築いた石堤の後方 に高さ5m、根幅20m、天幅2m、延長600mとい う大防波堤を安政二年(1855)二月に着工し、その 間3年10ヶ月、工費銀94貫344匁(353.79kg) の私財を投じ、延人員56,736人を要し安政五年(1 856)十二月に完成をみた。  この堤防工事で、津波により失職した人々に仕事を与 えることができ大いに役立ったのである。  梧陵翁の業績に感謝し「ふるさとを大切にし、災害の 恐ろしさを知り、おたがいに助け合い」を目的に全国的 にもまれな「津波まつり」を実施している。 昭和六十一年三月              広川町・広川町教育委員会 注)銀94貫344匁(353,79kg)は現在の価値にして   一億5千万円位と考えられる